公開日:2004年8月16日
最終更新日:2016年5月5日

ネーミングに「ステータス性を感じるよ」

開発ストーリー(8)

Development Story

カテゴリー : 基本資料

Y31シーマに適用

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まだネーミングが決まっていない

新型セドリック・グロリアを発表したあと、開発グループの作業は62年度のモーターショーに新3ナンバー車を出品すべく、最後の追い込みに入っていた。この段階まで来て、まだ決まっていない重要なファクターが2つあった。ネーミングと価格である。

タイムリミットが迫っていた。新型車は発売の半年前に型式認定をとらなければならないが、陸運局に提出する書類に車名(通称)を表示しなければならないのだ。

阿波は62年に入ってネーミングの作業に入り、デザイナーや技術者も含め新3ナンバー車開発グループのスタッフを中心に50~60人に頼んでネーミング案をどんどん出してもらった。こうして集まった数千の案を振るいにかけて絞り込んでいくのだが、すでに他社が商標登録しているものは、もちろん使えない。調べてみると、誰もが考えそうなものはすべて登録されていて、抜け道がほとんどない。日産自身もかなりの数の商標を先行登録しており、その中にいいのがあれば問題はないということになる。阿波は、部下と手分けしてこの辛気くさい仕事を続けた。

「オレは、CIMA(シーマ)がいいと思うんだが・・・」

S62.7 7月2日になって、それまでに三坂に提案したネーミングの数を調べてみたら、およそ800に達していた。あと数日の余裕しかないのに、肝心の三坂が「これで行こう」と決断してくれないのだ。

たまりかねて、阿波が詰め寄った。「三坂さん、もういい加減にしてくださいよ。ボクらも、ない知恵を絞り、他社の商標登録に引っかからないネーミングを、何とか拾い出してきたんです。三坂さんに見せた数は、もう800にもなっているんですよ。そのどれも気に入らないなら、自分で勝手に決めてくださいよ」ネーミングの良し悪しは、かなり主観によって左右される。理屈ではない。阿波はサジを投げたくなったのだ。

「オレは、CIMA(シーマ)がいいと思うんだが・・・」「何ですか、それは」つい、阿波は口調が突っけんどんになった。
「実は、中学に入ったとき親父に初めて買ってもらった腕時計の名前なんだ。スペイン語で”頂上”とか”完成”という意味らしいが、それが気に入っていて、いつか使いたいと思っていたんだよ」熱血漢の阿波は頭に血がカーッとのぼった。「冗談じゃないですよ。それならそれで、もっと早くに言ってくれればいいじゃないですか。ボクら、どれだけヤキモキしたか・・・」「いや、それは済まなかった」三坂は悪びれずに頭を下げた。「実は、キミたちのほうから、もっといい案が出てくることも期待していたんだ。悪く思わんでくれ」三坂が頭を下げたことで、阿波も少し機嫌を直した。「わかりました。じゃあ、CIMAが使えるかどうか、すぐ調べてみます」
ただちに調べてみると、幸いどこも出願していなかった。

阿波が翌3日(金曜日)、稟議書を作成した。こうした場合のテクニックとして、CIMAをひきたたせるためのサクラのネーミングを3つ、4つ併記する。そのうちの1つに決めてほしいと上にゲタを預ける形をとるが、万一の場合もあるため、阿波はサクラのネーミングに「これは他社が登録済の商標に引っかかる可能性があります」とか「このネーミングは語呂があまりよくありません」などといちいち注釈を書く加えておいた。「ウン、パーフェクトだ」

三坂がそれを持って、まず直属上司の辻常務の承認をとり、続いて開発担当の園田副社長、国内営業担当の佐藤副社長の承認をその日のうちにとった。本来なら経営会議で承認してもらうのだが、時間的余裕がないため回り持ちで役員の承認をとっていったのである。

社長「なかなかいい名じゃないか」

週が空けて7月6日(月曜日)、三坂は3役員の承認印が押してある稟議書を持って社長室に入った。「今日中に陸運局に型式認定を申請しますので、ご承認いただきたいのですが」
久米社長は稟議書に目を通し「何だ、これは」とサクラのネーミングの下に書かれた注釈を指差して笑い出した。「これじゃあ、選びようがないじゃないか」「はい、そうです」三坂も笑いながら応じた。

「CIMAか・・・。ウン、なかなかいい名じゃないか。ステータス性を感じるよ」久米はニッコリ笑って稟議書に承認印を押した。

値決めで対立

ネーミングは無事決まったが、三坂や阿波にとって、最大の難関がもう1つ残っていた。値決めである。

61年4月21日の経営会議への提案書類には、予定販売価格を470万円と記載していた。が、第27回モーターショーでベールを脱ぐことが決定し、出品車の制作が追い込みにかかった夏ごろから、三坂は急に強気に転じた。

「阿波ちゃん、シーマの販売価格なんだけどね、もう少し高くしてもいいんじゃないかな。提案書の時点では、ターボなしエンジンのつもりだったんだし・・・」「どのくらい上げたいんですか?」「少なくとも、500万円以上にはしたいと思っているんだけど」「ええっ!」阿波は絶句した。

「500万円もするクルマ、いったい誰が買うんですか?」「ボクは十分いけると思うんだがねぇ。だって排気量やサイズを基準にしたらシーマよりランクが下の外車が飛ぶように売れているじゃないか」「それは・・・理屈ですよ。まだ、クルマは外車のほうがステータスが高いと思われてますからね」「それはもちろん、わかっている。だから、ベンツ並みにしようなどとは考えていない。日産が自信を持って送り出す国産最高級車にふさわしいグレードを、価格面にも反映させたいんだよ」「ボクだって、500万円以上の価値のあるクルマだとは思いますよ。だけど、いかに高級車といっても、値段は高いより安いほうが売れることは間違いありませんからね。そりぁ、本当にシーマの価値を認めてくれるお客さまだけを相手に、月に1000台~1500台を売ればいいというなら、高くてもいいでしょう。だけど、2500台も売る計画なんですから、500万を超えたら絶対ムリですよ」「だけど、ソアラの3ナンバー最高級車種は480万もしてるんだぜ。シーマはソアラより格上なんだから、500万円台にしたって絶対に行けるよ」「いや、ムリです。われわれが狙っている45歳、年収1000万円というターゲット層の購買限度額を超えてしまいますよ。470~480万がいいところです」「そんなことはない。500万を超えたって、それなりの売り方をすれば売れるはずだ」議論は平行線をたどり、どこまで行っても決着はつきそうになかった。

三坂は、500万円を超えることで、国産最高級車種というグレードを名実ともに確立させ、日産の失地回復への尖兵にしたいと考えていた。

どんなに優れたデザイン、すばらしい走り、ナンバーワンの馬力を誇っても、結局のところユーザーが手にする満足感は、値ごろ感があってはじめて購買行動に結びつく。シーマのような国産車がこれまでなかっただけに、ターゲット層のユーザーが、いくらだったら値ごろ感を持ってくれるのか、実のところ、三坂にも阿波にも確たる根拠がなかった。

価格はお客さまの判断で

ふつう、クルマの販売価格案は、発売2ヶ月ほど前に生産サイドから出てくる最終的な製造原価見積もりをベースに、ライバル車と価格比較しながら作成する。だから、価格論争は製造原価がはっきりしてから始めても遅くないのだが、シーマの場合は10月のモーターショーでベールを脱ぐことになっており、それまでにおおよそのガイドラインを決めておかないと、ショー会場で客から聞かれたとき、コンパニオンが応答に困ることになる。

参考出品と言っても、3ヶ月後の発売が確定しており、社長が発売予告をアナウンスしているクルマだ。その値段が「私には見当がつきません」では通らないのである。

「ショー会場では、どういうふうに答えさせようか」価格論争が平行線のままなので、三坂も困っていた。一方、阿波のほうも「とりあえずの妥協点を見つけなければいかんな」と考えていた。

「三坂さん、社長が発売予告をアナウンスされたとき、朝日新聞が『価格は500万円以上になる見込み』と推測記事を書き込みましたね。その線でコンパニオンたちには『500万円前後になると思います』と答えさせたらどうでしょうか。それでお客さまの反応を調べてみましょうよ」「ウン、それで行こう」

モーターショーに参考出品

S62.10 62年10月30日、11日間にわたる東京モーターショーの幕が華々しく切って落とされた。当然のことだが、人々の関心は、初めてベールを脱いだシーマに集中した。

Y31シーマ モーターショー参考出品車
モーターショー参考出品車(モーターショーマガジンより)
モーターショーの入場者数は、”日産「シーマ」発売”のところで急に多くなっている
(2005/10/19の読売新聞夕刊より)

「価格は決まっているの?」「いえ、まだ決まっておりませんが、500万円前後になると思います」シーマの周りで、そんなやりとりが相次いだ。

閉館になった直後、三坂と阿波はコンパニオンを集め、客の反応を聞いた。その結果、約7割の客が「500万なら安いね」と感想をもらしたことがわかった。ユーザーにとってシーマの値ごろ感は、500万円を超えたのである。客の反応は、2日目も3日目も同じだった。

「ホラ見ろ、500万を超えたって、全然抵抗ないじゃないか」三坂は得意満面だった。結果を突きつけられては、阿波も折れるしかない。「ボクの負けですね。500万円台は認めますが、500万のラインをほんのちょっと超える程度にしてくださいよ」

S62.11 11月の末、阿波は最下位車種433万円、最上位車種510万円とする価格案を作成、承認の手続きに入っていった。「高すぎるんじゃないか」と不安を示す役員もいたが、三坂がモーターショーでの客の反応を根拠に説き伏せていった。最終的に社長決裁がおりたのは12月半ばであった。

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