公開日:2004年8月16日
最終更新日:2016年5月5日

「計画をどんどん進めろ」

開発ストーリー(4)

Development Story

カテゴリー : 基本資料

Y31シーマに適用

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社長「いいじゃないか。これで行ってくれ」

S60.7 田中が久米を口説き落とすために社長室に向かった。手には新旧両モデルの写真があった。久米は写真をじっと見つめた。ほんの一、二分の沈黙が、田中にはやけに長く感じられた。
「いいじゃないか。良くなったのなら大いに結構。これで行ってくれ」久米のOKがとれた。この時期、すでに設計作業は線図から車体設計に移っていた。

「もう一工夫したほうがいいんじゃないか」

S60.8 酒の席で「やはり3ナンバー車はもう一工夫したほうがいいんじゃないか」といった声がポツポツ出始めた。三坂はいった。「だけど、経営会議の決定を覆そうというからには、よほど腹をくくってかからんとダメだぞ」
そんなやりとりにデザイナーの若林なども加わるようになり、いつしか開発グループ全体の燃えるような熱気にまで高まっていった。

ついに三坂が決断した。「わかった。みんながそれほどいうなら、やろう。ただし、始めたらオレは一歩も退かんからな。上の人に何か言われて、すぐ引っ込めるくらいだったら、やらんほうがいい。その覚悟だけはしておいてくれ」

園田「こんなゴマカシは通用しないぞ」

S60.9 デザイナーの若林が、ふたたびモデル場に閉じこもった。9月中旬、クレイモデルができあがった。「まあ、こんなものだろうな」用済みとなっていた次期型セドリック・グロリアのモデルを、真ん中で二つに切って全長を長くし、ドアの部分を膨らませて幅を少し広げた程度の「改造」モデルであった。いぜんとしてクルマづくりの、過去の常識のワクの中で発想していた。

この時点では、三坂以下、開発メンバーのほとんど全員が「セドリック・グロリアシリーズの3ナンバー車だから、基本的なデザインは変えないほうがいい」と考えていた。また、デザインの共通性が少ないと、「これは別の車種じゃないか」と経営陣に一蹴されてしまうのではないか、と恐れていた。

副社長に昇進した園田にモデルを秘かに見せた。「何だこれは、次期型モデルをちょっと長くし、幅を広げただけじゃないか。こんなゴマカシは通用しない。バカなことを考えるんじゃない」
基本デザインを踏襲したことが、かえって裏目に出たのである。

販売企画部長「売る側がいらないといっているのにつくりたいとは何だ」

三坂はかつてから販売企画部など国内営業担当の各セクションの部長クラスに根回しし、商品企画部長会議での席で幅広セドリック・グロリアの必要性を訴えていた。この作戦は、当初、うまくいくかに見えた。が、思いがけず、強硬な反対意見を、企画室の山本が展開しだしたのである。

「3ナンバー車は国内向けにはプレジデントがあるし、すでにアメリカ市場を狙ったインフィニティの開発が始まっている。しかもインフィニティは輸出オンリーではなく、国内でも販売する計画じゃないか。そこに幅広セドリック・グロリアを投入したら、プレジデントやインフィニティの商品価値が損なわれるし、販売の第一線が混乱する危険性もある。むしろわれわれは、セドリック・グロリア3ナンバー車のユーザーをインフィニティに吸収していく作戦をたてるべきではないか」山本の反対論はこうだった。

山本はかつての”幻の3ナンバー車”プロジェクトのリーダーであり、阿波とともに本格的3ナンバー車構想をもっとも熱心に推進してきた男である。まさか、セドリック・グロリア3ナンバー車の幅広化に真っ向から反対してくるとは、三坂自身、想像もしていなかった。

それまで幅広車必要論を支持していた販売企画部長まで「やっぱりいらないんじゃないの」などといい出してしまう始末であった。「売る側がいらないといっているのにつくりたいとは何だ」とまでやられては三坂も返す言葉がなかった。

「営業部門から、3ナンバー車が欲しい、といってきているんですが・・・」

S60.10 しかし、三坂らの反乱は無駄ではなかった。国内営業を担当する役員の中から、3ナンバー車構想を支援しようという動きが出てきたのだ。

10月4日、伊藤常務が中村専務に「EP車両計画一部見直しお願いの件」と題する”嘆願書”をぶつけたのである。この文章で、伊藤は3ナンバー車幅広化の必要性を強く訴えた。その論点は3つあった。

第1は、三坂らが幅広車を構想した原点である「ユーザーが5ナンバー車と同じサイズでは満足していない」という点である。
第2は、トヨタも本格的3ナンバー車開発を計画しているらしい、というものであった。
第3は、当時、大型間接税導入の動きが始まっており、もし物品税が改正されれば、3ナンバー車が購入しやすくなり、市場がいっきに活性化する可能性がある、と考えたのである。この伊藤の文書がモノをいった。

中村はその足で副社長室を訪ねた。「営業部門から、どうしても5ナンバー車との差別化のできる3ナンバー車が欲しい、といってきているんですが・・・」「それは、わかっている。しかしキミも知っての通り、久米さん(社長)から『あまり車種を増やすな』といわれているし、開発グループが勝手につくった3ナンバー車のモデルを見たけど、5ナンバーモデルをちょっと大きくしただけだ。そんな小手先の改良でお客様が納得するわけがないと思うんだ」
久米が「車種を増やすな」と指示を出していたことは事実だった。

三坂「キミが本当に自信のあるものをつくってくれ」

しかし、事態は必ずしも三坂ら反乱軍に不利ではなかった。「もう一度、陽の目を見るような形で提案してみたらどうだ。ただし、5ナンバー車をちょっと大きくしただけだったら園田さんはOKしてくれないよ」三坂らの提案を却下した園田の真意を確かめた中村が、秘かに伊藤にサジェッション(提言)を与えた。伊藤から聞かされた三坂らは小躍りするほど喜んだ。

三坂はただちにデザイナーの若林に指示を出した。「若林クン、もう一度やろう。この前は、上の承認が得られやすいようにと考えて、5ナンバー車を大きくしたモデルをつくってもらったが、こんどは思い切ってゼロからつくってしまおう。オレはデザインのことはわからんから、キミにすべてを任せる。絶対に我慢するな。キミが本当に自信のあるものをつくってくれ」

実は若林は、次期型セドリック・グロリアのモデルをデザインしたあと、ヨーロッパを20日間ほど旅行していた。ショーを見るというのが口実で、発想力を豊かにすることが本当の目的であった。そのとき彼の頭にこびりついたのは「日本人にしかつくれないクルマって何だろう?周りの景色に溶け込みながら、しかも自らのアイデンティティを主張できるクルマはどんなスタイルをしているのだろうか?」といった疑問であった。

若林「シロウトは、口を出さんで下さい」

S60.12 若林の頭に、ようやくイメージが固まりだしたのは12月半ばであった。「陶器、のようなつくり方をしてみたらどうか」「日本が世界に誇るべき制作手法は、陶器のつくり方に凝縮されている。あの陶器のもつ温かさ、柔らかさは、定規やコンパスを使わないことで出てくる。その感覚をクルマに活かしたい・・・」と彼は考えた。

「たとえば、何かを削る場合、旋盤で削るのとカンナをかけるのでは、平滑度には差がなくても、温かさ柔らかさが違う。直線やカーブでも、定規やコンパスを使った線には機械的な冷たさが残るが、熟練した人がスッと引けば、ほとんど完璧な直線や円弧なのに、独特の味が出る」そんな感覚でクルマをデザインしてみようと考えた。

彼は、いきなり実物大のスケッチを描き出した。それをみて三坂がびっくりした。「こりゃ何だ。丸太ん棒を輪切りにしたようなデザインじゃないか」
ユーザーの好みは確実に丸型に移行しており、直線美を伝統としてきた日産のクルマづくりにも、そうした時代の流れが反映されるようになりつつあったが「それにしても、これはちょっと極端すぎはしないかい」若林は筆をとめて、振り向いた。「シロウトは、口を出さんで下さい。だいいち、ボクに好きなようにデザインしろと言ったのは誰ですか」
目付きが、別人と思えたほど鋭かった。

商品企画室「どんどん進めろ」

S61.1 新たに商品企画室が設置された。園田が管轄し、反乱部隊の3ナンバー車構想を潰しにかかった山本も主要なメンバーとなった。三坂は、商品企画室が反乱部隊の計画の邪魔をするのではないかと心配した。しかし、風向きがいっきに変わった。室長の大野と副室長の吉永が3ナンバー車構想に理解を示し「トップの説得はわれわれがするから、計画をどんどん進めろ」と反乱部隊支持の方針を明確に打ち出したのである。とくに吉永などは「何をモタモタしていたんだ。われわれの3ナンバー車投入が一日遅れれば、その分クラウンの天下が続くぞ。商品企画室が全面的にバックアップするから、作業をどんどん進めろ」と尻まで叩き出す始末であった。

また、開発グループがやっと小手先の改造から脱皮して、新型車といってよいほどの画期的なデザインに取り組みだしたのを見て、園田の態度も軟化の兆しを見せだした。チャンス、と見た阿波と遠藤が園田の説得に出向いた。園田は、またか、といった渋い表情になった。
「キミらの気持ちはわかるが、問題は車種数が増えることだ。ボディタイプが増えると、それに比例して開発工数も増え、コスト増の要因になりかねない。市場規模がまったく読めない今、車種を増やしてコストアップ要因をつくるような計画は絶対に認めるわけにはいかない」
実は、阿波と遠藤はうまい計略を思いついていた。「ボディタイプが増えるとおっしゃいますが、3ナンバー車をやめれば小型車サイズのハードトップがどのみち必要なんです。今まででも2000ccのセダン、ハードトップ、バン、それに3000ccのセダンとハードトップで計5車種必要でしたから、3リッター車を新たに開発しても基本的な車種数は変わりませんよ」詭弁であった。

初めて赤字を出す

こうやって社内工作を進めている間に、日産の経営環境が一変するような事態が生じた。円高である。とくに体力が弱まっていた日産にとっては大きな打撃となった。61年度上半期、日産は初めて営業損益で赤字を出した。

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