公開日:2004年8月16日
最終更新日:2016年5月5日

どんなクルマをつくったらいいか

開発ストーリー(3)

Development Story

カテゴリー : 基本資料

Y31シーマに適用

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まさかのプロジェクトチーム解散

S58.9 9月12日に開かれた開発役員会議で局面を迎えた。「新普通車の企画は継続するが、セドリックの北米市場投入後、その反響や販売動向を見て、開発時期について改めて考えることにしよう」と、新普通車開発計画を事実上凍結してしまった。
経営陣の間では、トヨタに追いつくためには高級車よりも小型車や大衆車に力を注ぐべきだ、という考えが強かったのである。

プロジェクトチームは解散させられ、阿波はセドリック・グロリア開発グループに編入、山本は商品企画室に異動になり、フェアレディZとシルビアの開発主担を命じられた。新普通車の開発は幻に終わったのであった。

S59.2 一方、セドリック・グロリア開発グループは、引き続いて北米市場へのセドリック投入計画を推進していた。2月7日に開かれた商品企画会議は、セドリックの北米向け仕様、市場投入の時期について検討し、合意に達した。

S59.4 4月25日の製品展開検討会議の席で、北米向けセドリックの設計製造計画が承認された。

セドリック3ナンバー車北米輸出は、もはや動かない、と誰もが思っていたが、またもや異変が生じた。

次期セド・グロ輸出構想は振り出しに戻った

S59.9 阿波らセドリック・グロリア開発グループは、最終的な次期型セドリック・グロリアの開発基本構想を経営会議に提案する資料づくりに追われていた。

「ハードトップは国内専用にし、セダンは北米を主に、日本を従にしよう」このときの構想はこうだった。ところが、この提案の提出が1ヶ月延期された。

アメリカ日産のリサーチが手抜きであったというわけではないが、アメリカでの市場調査を鵜呑みにしてもいいのだろうか、という疑問がスタッフの間で強まったからだ。
また、両市場をターゲットにするとクルマそのものが中途半端なものになってしまう、といった開発コンセプトにかかわる重大な指摘もされた。スタッフは頭を抱え込んだ。セドリック輸出構想は振り出しに戻った。

次期セド・グロのアメリカ輸出計画が中止

S59.10 10月に入って、再度、次期型セドリック・グロリアの開発基本構想が練り上げられ、経営会議に提出された。ひと月前の構想と大きく変わり「セダンもハードトップも国内市場にターゲットを絞り、セダンはサウジアラビアや香港など小市場に限定して輸出する」という内容だった。これによってアメリカ輸出計画の中止が決定された。

本格的3ナンバー車インフィニティ開発プロジェクトがスタート

この時期、日産では秘かに新プロジェクトがスタートを切った。セドリックのアメリカ投入を断念するかわりに、アメリカ市場にターゲットを据えた本格的3ナンバー車インフィニティを開発するのが目的である。

次期セド・グロのデザインに取りかかる

次期型セドリック・グロリアのデザインを担当することになった若林は、シルビア、フェアレディZ、レパードなどのデザインを担当してきたベテランである。
その若林の記憶に、いまでも鮮烈に刻み込まれている一つの風景がある。セドリック・グロリアのデザインを担当することになって数日後の日曜日、彼は自宅近くの運動公園に子供を連れて遊びに出かけた。テニスコートで数人の若い男女に混じってボールを追う中年の男がいた。やがて彼らはクルマに乗って運動公園を後にした。若い男女は、見るからにスポーティーなホンダやトヨタのクルマに分乗し、一団となって走り去った。一人置かれていた中年の男が乗り込んだのがセドリックであった。スポーツで汗を流したあとの爽快さではなく、置いてけぼりにされた淋しさが、若林の胸に伝わってきた。「あんなクルマをつくっちゃいけない」心に強く命じるものを感じた。「若い男女が、争ってオジサンのクルマに便乗したがるような、そんなクルマをつくらなければ、ユーザーに申し訳ない」という気持ちに襲われたのだ。
「これでいいクルマがつくれなかったら、もう日産はクルマをつくるのをやめたほうがいい」若林は精力的にデザインに取りかかった。

S59.12 基本的なデザインが固まり、いったん「これで行こう」という段取りになった。主管の藤井も納得し、経営会議でも承認された。しかし数日後、若林はいった。「主管、次期型セドリック・グロリアのデザインをやり直したいんです」「なに!?」藤井は頭をかきむしった。「どうしてもやり直したいのか」「ええ、このモデルは、もう見るのも嫌なくらいです」
若林は思い切ってパーソナルに振ったデザインをしたつもりだったが、この程度の振り方だったら、トヨタも次期型クラウンで当然やってくる、ということに気づいいたのである。
藤井はいった。「わかった。そんなに時間はやれない。超特急で仕上げてくれ」

「いったい会社は、何をオレに期待しているのだろう・・・」

S60.1 次期型セドリック・グロリア開発グループの主管が突如、変わった。藤井が設計管理部長に昇格し、後任には三坂が任命された。開発グループの技術者の面々は、みなびっくりした。三坂は根っからの営業マンだったからである。技術オンチの営業マンが開発グループの総責任者になった例は、これまでにない。「いったい会社は、何をオレに期待しているのだろう・・・」彼自身も戸惑いを隠せなかった。

「デザイナーはデザインにこだわるし、技術者は走りの性能だけにこだわる傾向が強い。そこで前々から、トータルな視点からユーザーの求める条件を計算できる人に主管をやらせてみたかった」と園田は語る。

開発主管が交代したことで、モデルのつくり直しにかかろうとしていた若林は、頭を悩ませていた。三坂という人間が一見こわそうな感じだったため「経営会議で承認されたモデルをやり直したい」といい出したら、前任者の藤井のOKはとってあっても「そんなことは許さん!」と一喝されそうな気がしていた。そこで「ちょっと気に入らないところがあるので、部分的に手直ししたいんですが・・・」と一計を案じて申し出た。
「ああ、いいよ」いったん承認済みのモデルでも、リファインといって多少の手直しなら開発サイドが自主的にやってもいいことになっていた。三坂は、その程度のことだろうと思い承認した。

「こいつは、リファインじゃ通らんぞ」

S60.2 「やっとできました」若林が三坂に報告に来た。「おい、こりゃ何だ」三坂は目を疑った。承認済みのモデルとは、似ても似つかなぬモデルがそこにあった。「こいつは、リファインじゃ通らんぞ」「わかってます。だけど、三坂さん、どっちがいいと思いますか?」「うーん、そりゃまぁ、こっちのほうがいいに決まっているが・・・」「そうでしょう。だったら、これでいってくださいよ」「ちょっと待て、これはオレの独断では決められない」三坂はとりあえず商品企画室の副室長を兼務している田中取締役に見てもらった。このときには三坂の腹は決まっていた。

「田中さん、すばらしいデザインができましたよ。承認済みのモデルとはちょっと違うけど・・・」「おいおい、これはちょっとどころじゃないじゃないか。どういうつもりなんだ」「じゃあ、田中さんはどっちのほうがいいと思うんですか?」「そりゃ、こっちのほうがいいけど・・・」「そうでしょう、だからリファインで押し通しましょうよ」「そうはいってもなぁ、これをリファインの範囲だというのは、白を黒といいくるめるようなもんだぞ」「やっぱり、そうですかねぇ」2人は、頭を抱えてしまった。涼しい顔をしているのは若林だけである。

田中と三坂が、いい解決策を見出せないまま頭を悩ましているうち、設計部門から「早くモデルを寄越してくれ」と催促がかかりだした。「ええい、これで行ってしまおう」とうとう三坂は見切り発車を覚悟した。新しいモデルを設計部門に渡してしまったのだ。最悪の場合、オレひとりが責任をとればいい、と三坂は腹をくくったのだ。

問題は、誰の承認を、どうやってとりつけるかであった。これが微妙だった。
6月の株主総会で社長交代があることを2人はすでに知っていた。「オレは久米さんの方が話しやすいな」同意を求めるように、田中がつぶやいた。「ボクも、そのほうがいいと思います。気さくな人だし、あまり手続きにこだわらないんじゃないでしょうか」2人は密議し、当面、水面下で作業を進めることにした。

三坂「お客様の顔を知らずに設計しているのか」

S60.3 ある日、設計室にフラッと入ってきた三坂がいった。「おい、キミたち、セドリックやクラウンに乗っている人の顔を知っているか?」技術者連中はキョトンとした。「キミら、お客様の顔を知らずに設計しているのか」「そんなこといわれても・・・」みんなあきれ顔になった。

「セドリックのユーザーもクラウンのユーザーも、約3割が固定客で、残りは不動票だ。その不動票を、いまはクラウンにどんどん食い荒らされている。彼らをこっちにいただくにはどんなクルマをつくったらいいか、つねにそういう意識を持って仕事をして欲しい」三坂にはそういう狙いがあった。

 

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